【エピソード6】涙涙の浄化で不思議な体験

涙が出てくる不思議な体験

丹田を鍛え、呼吸法を練習し、いよいよ瞑想法の練習にも差し掛かってきた頃、

私は不思議な体験をします。

 

ヨガのポーズや呼吸法で、体の「制御」と「解放」を交互にできるようになると、

 

「解放」のタイミングで涙がうわっと出てくるようになったのです。

 

 

 

この「制御」と「解放」というのは、筋肉の伸縮という意味で、

 

例えばコアマッスルを使って20秒ほどヨガポーズをキープする
→「制御」

その後に、カウンターポーズと呼ばれる、体をゆるめるためのポーズをする
→「解放」

 

ということです。

 

「ヨガは心にも作用する」を体験する

 

そこからしばらくは、半年以上、本当によく泣いていました。

 

不思議なのは、「悲しい」という感情は特にないのに涙だけ滝のように出てくる、ということ。

なんなら嗚咽と共に体の震えも起こり、

「発作!?」と思うほどでした。

 

 

師匠は「そういうこともあるのよ。」と常に冷静で、

私が泣いた時は、本当にいつもただじっと見守るだけでした。

 

そして、

「その今の状態も、あるがままに受け入れること。」

「感情があるなら、全て出し切ること。」

と教えてくれました。

 

 

「あるがまま」というのは

師匠の口癖でした。

 

 

 

あるがまま受け入れることや

あるがままの状態でいることが

「ヨガ」そのものなのだそうです。

 

 

 

何が悲しくて、というわけでもなく

滝のように止まらずに出てくる涙は、

ずっと何かを我慢していた自分の本当に気持ちに気づかせてくれました。

 

その後、アダルトチルドレンという言葉も知ることになるのですが。

ずっと見て見ぬふりをしてきたトラウマや、

7年間の摂食障害の苦しさ、家族への苛立ちや

孤独感、虚しさや不安など、

向き合いたくなかった「真実」が、あぶり出されていくようでした。

 

涙で浄化しても浄化しても、それでもまた次のお稽古で師匠とヨガに取り組んでいると、涙が出てくる。

 

結局、泣きに泣いて、半年以上経ったでしょうか。

 

だんだんと涙が出てくることは減り、

 

その頃には顔つきも心なしか、

ほんのほんの少しですが「凛」としたのです。

 

 

生気が宿ったんだと思います(笑)

 

鏡を見たときに「目が違う」と自分でも分かりましたし、

周りからも「何か変わったね」と言われ始めた時期でした。

 

気力のない人間の目つき

 

本当に気力がない人間の目つきが「トロン」としているのは、

眼球を見開く、とか瞼を押し上げる、という筋力さえなくなるのだ、とこの時に気づきました。

 

実際に、私は何年も、「気持ちよく目をぱっちり開けること」ができませんでした。

化粧でごまかせても、やはり黒目に瞼がかかっている状態は「無気力」をあらわにします。

 

それが、丹田力がつき常に腹からエネルギーが湧き、泣き通して心の深いところにあった重いものもなくなり、

気づけば本当に「目がすっきりぱっちり」としていたのです。

 

まるで生まれ変わったように。

 

いつもタイミングは完璧に訪れる

 

師匠がよく

「全ては自ら起こすのではなく準備の整った者に訪れる」

と言っていました。

 

今回の涙、涙のお話も、後から思えば

私の「受け入れる準備」ができた時期だったのだと思います。

 

近くで見届けてくれる師匠という存在がいて、

丹田力という肉体的なパワーの下準備ができていて、

泣いて泣いて過ごすのに十分な時間もありました。

 

全てのタイミングが揃い、

「半年間かけての浄化体験」という

人生の一大イベント(笑)が起こったのでしょう。

 

 

この時が22歳ごろ。

重くてビクともしなかった人生の扉が開かれ、

まるで運命的に色々なことが動き出していった時期でした。

 

 

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です